生まれたときに割り当てられた性別とは、異なる性を生きる「トランスジェンダー」。その人権を傷つけるような言説がSNSを中心に起きています。たとえば秋田県内では、一部の議員がトランスジェンダー女性への偏見につながるような発信をSNSなどで繰り返しています。
トランスジェンダーは性的マイノリティの中でも少数です。人口の0.4~0.7%というデータもあります。そして特に、古くからの価値観が根強い地方では偏見や心ない言葉に遭いやすく、孤立しがちな現実があります。そこに追い打ちをかけるように、議員がスマホの指先ひとつで当事者を傷つける発信をしています。一方、当事者の状況を知り、人権を回復しようと行動する議員たちもいます。
1月27日、秋田市で「トランスジェンダーのリアルから安心・安全なコミュニティを考えるフォーラム」が開かれました。なぜマイノリティの困難は見えにくく、差別に遭いやすいのか。よりよい社会のために何ができるのかを考える内容でした。講師は時枝穂(ときえだ・みのり)さん。東京都北区で多様性を推進する市民団体「Rainbow Tokyo 北区 」を立ち上げ、代表をつとめています。また自身がトランスジェンダーの当事者であることを紹介しながら、発信を続けています。フォーラムの内容を3回にわたって紹介します。〈前回①〉
修正に次ぐ修正で後退した「理解増進法」
昨年6月、理解増進法、正式名「性的指向およびジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(※1)が成立しました。この法案をめぐっては、性的マイノリティの当事者から「後退である」という懸念の声が上がりました。
この法案の経過については、報道でご存知かもしれません。まず2021年、東京オリンピック・パラリンピックを開催するタイミングで一度、超党派で法案を提出する機運が高まりました。
そして昨年2023年、元首相秘書官による差別的発言(※2)を受けて、法案がまた浮上してきたわけです。オリ・パラのときに機運が高まったんですが、法案は結局、流れていたのです。それが昨年、自民・公明がまず与党案を出し、さらに立憲と共産、社民の3党が対案を提出し、さらに日本維新の会と国民民主が対案を出した。ということで法案が3つも出てきたんですね。
そもそも、議員立法で法律を作るときに3つも案が出てくるというのがおかしいんです。基本的には超党派で、与党と野党がそれぞれ話し合って合意した上で通すというのが通常の流れだと思います。
ところがこの法案については、衆院内閣委員会の当日に3つの案をまとめたものが出てきて、それを審議して即日で可決成立させるという、前代未聞のことが起きました。
※3https://www.tokyo-np.co.jp/article/255303(東京新聞Webより)
この法案には何度も何度も、内容を修正・後退させるような文言が加えられていきました。一方で、保守層からも非常に反発がありました。当事者からも保守層からも、反発を受けた法案だったということです。
「差別」が「不当な差別」になった
理解増進法の3条「基本理念」には、こうあります。
〈全ての国民が、その性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として行われなければならない〉
すごくいいことが書いてある、というふうに思いますよね。ですが、この法は「理念法」といって罰則規定のない法律です。そしてほかの条文を読んでいただくと分かるのですがほとんどの規定が「努力義務」です。(※4)
一体、何の法律なんだ?と感じます。
また3条の文中にある「不当な差別はあってはならない」というところも、成立までの過程で「不当な」という文言が付け加えられました。まるで「不当な差別」と「そうでない差別」があるかのようだと批判されました。
「全ての国民」が意味するのは
一番問題となっていたのが12条です。
文中に「性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意する」というふうに書いてあります。
これを見て「何か問題ですか?」と感じるかたもいらっしゃると思います。けれども、どうでしょう。例えば「安心して生活することができる」という一言は、一体誰に向けて書いている言葉なのでしょう?
これはおそらく「性的マジョリティー」つまり「多数派の国民」に向けて書いてある文言だというふうに私は捉えています。
言い換えれば「性的マイノリティ」の存在を「国民の安心を脅かすようなもの」としてとらえ、この文言が付け加えられたのです。この条文は、オセロの白を全て黒にひっくり返すようなものです。
「アクセルを踏みながらブレーキ」
ライターの松岡宗嗣さんが、このようなことを書いています。
〈この法律は一体誰のために、何のためにあるのだろうか。一方では「理解の増進」を掲げながら、議論すればするほど後退し、理解を抑制する修正が加えられていく。まるで車のアクセルを踏みながら、同時に全力でブレーキを踏んでいるようなものだ〉
(※5https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/22ccad3cd9c5380dc6e03d4f439bd5df9e370fd2)
理解増進法は、日本で初めてできたLGBTQに関する包括的な法律なんです。この初めてできた法律が、こんな法律でいいのか。非常に当事者の気持ちを逆なでするような法律になりました。また法案をめぐる過程でトランスジェンダーに対するバッシングが起こり、「女性スペースを守る会」のような動きがありました。
LGBT法連合会も声明を出しています(※6)。
後段の部分を読み上げます。
〈一部の勢力によって、さまざまな取り組みが「安心できないもの」であるとされ、停滞させられることのないよう、今後の基本計画や指針の策定経過はもとより、地方自治体や教育現場への、学術的に裏打ちされ、統計的な根拠を持った働きかけを強めなくてはならない〉
わき起こる「憎悪を煽る言葉」
トランスジェンダーに対するバッシングは、2018年にお茶の水女子大学がトランスジェンダーの学生の受け入れを発表してから、少しずつ過熱していったというふうに言われています。こうした表明について、一部の著名な方やタレントさんが「女性の安心安全が脅かされる」「男性が侵入してくる、危険じゃないか」と言い、議論になりました。(編注=2023年には津田塾大学がトランスジェンダーの学生の受け入れを発表しています。こちらは津田塾大学の学長インタビューです)
また法案の段階でよく聞かれたのが「トイレ・お風呂」の議論です。「トランスジェンダーの女性を自称する男性が、女湯に入ってくる」とか「トランスジェンダーの女性が女子トイレに入ると混乱が起きる」とか、あたかもトランスジェンダーを性犯罪者か、まるで性暴力を起こす存在かのようにレッテルをはり、議論を起こしていきました。
新宿歌舞伎町の「オールジェンダートイレ」についての報道もありました。ここは、もともと男性トイレ、女性トイレ、それから共用トイレいわゆる「オールジェンダートイレ」を一つのフロアにつくっていました。そこに「安心して使えない」「性犯罪の温床になる」などの抗議が殺到して、4カ月ほどで男女別のトイレに改修されました。
東京オリンピック・パラリンピックで初めてトランスジェンダーの女性が出場したという報道が出たときにも、さまざまなバッシングが起こりました。また、トランスジェンダーの女性であることを公表している大阪の弁護士、仲岡しゅんさんに対して、ヘイトクライム、殺害予告が送り付けられたということがありました。トランスジェンダーを標的にしたバッシングが続いているのです。
トランスジェンダーを排除する動き
2021年、東京オリンピック・パラリンピックの時には「女性スペースを守る会」が立ち上がりました。その運動を受けて「女性を守る議連」というものもできました。トランスジェンダーを巡り、反発の勢力、保守的な動きというものが出てきたということです。
女性スペースというのは、例えば女性浴場とか、女子トイレとか、女子更衣室といった空間のことです。このような空間があることによって男性からの性暴力から守られるとし、またそこにトランスジェンダーの女性が入ってくることは許せない、という主張があります。
しかしこうした主張には、大きく二つの偏見があると思います。一つは、生物学的に男性として生まれ、性自認が女性のトランスジェンダー女性は「男性なのだ」という偏見です。もう一つは、男性は潜在的にみんな性暴力を行うものだ、という偏見です。
女性浴場というのは、基本的には服を脱いで入る場所です。そもそも女子トイレ、女子更衣室と並べて一緒に議論できるものではないけれども、こうした浴場、トイレ、更衣室を全て同列に並べてトランスジェンダーを排除する動きにつなげている。
一方、性別二元論の主義主張も根強くあります。性別二元論というものは、性別は男と女のいずれかのジェンダーにしか分けられないという考え方です。また、恋愛や性的行為というのは男女に限定したものだという異性愛主義もあります。このような考え方が根強くあるために、例えばノンバイナリーやXジェンダー、トランスジェンダーの存在がなかなか可視化されず、排除されているという現実があります。
当事者に説明をさせ続ける社会
公衆浴場に関しては、自治体で公衆浴場の利用ルールが変わったとか、あるいは社会が混乱したということは、基本的には起きていないのです。けれども人の心理を逆手にとって、不安や恐怖を煽って、あたかも「既存のルールが変わるかもしれない」というようなデマが流されている。現状を踏まえ、LGBT法連合会も記者会見をしました。「このようなデマが広がっています」と、いちいち当事者が言わなければならない事態にまで発展しています。
性的マイノリティは、家父長制的なジェンダー規範による被害を受けやすい存在です。「男らしさ」とか「女らしさ」とか、そういったものを押し付けられて構造的に差別を受けやすい立場にあります。それを無視して、ジェンダーに関する暴力の加害者であるかのように煽りたてる言説は許されるものではないと、LGBT法連合会も声明を出しています。
これから、できることは
このような現状のなかで、私たちはどうしていったらいいのか。まずは「アライ」を表明しようと言いたいです。アライは英語の「alliance(アライアンス)」のことで、LGBTQ+を理解し、応援する人のことを言います。
例えば、レインボーのフラッグを掲げて「ここは安全な場所ですよ」と示すことができます。バッジなど小物を身に着けたりする方法もあります。
「性的マイノリティは見えにくい」という話をこれまでしてきました。これは、アライにも言えることです。例えば、数学で分からない問題があったら数学の先生に聞けばいいですよね。子育てのことで分からないことがあったら、子育て経験のある人に聞けばいいわけです。でもLGBTQの当事者にとって、誰が相談のできるアライかは、分かりません。
私が「自分はトランスジェンダーだ」と言わなければ相手に分からないし、相手も「自分はアライです」と言わなければ、私には分かりません。当事者かアライか、お互いに見えない状態なのです。多くの当事者が自分からは言えない状況にあります。ですからぜひ、アライだということをなにかの形で表明してもらいたいと思っています。
〈➂に続きます〉
〈参考資料〉
※1)性的指向および性自認ジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=505AC1000000068
※2)元首相秘書官が昨年2月、性的マイノリティについて「隣に住んでいたら嫌。見るのも嫌だ」と発言した。
※3)東京新聞 TOKYO Web 「LGBTQ法案、全会一致の見通しがないまま…異例の3法案審議 9日、2時間の審議を経て採決へ」https://www.tokyo-np.co.jp/article/255303(2023年6月8日)※5)内閣府ホームページ「性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進連絡会議(第1回) 議事次第」の資料2 https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/meeting/k_1/index.html
※6)松岡宗嗣『「LGBT理解抑制法」 与党と維国の再修正案が衆院内閣委員会で可決』(2023年6月10日)https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/22ccad3cd9c5380dc6e03d4f439bd5df9e370fd2※7)LGBT法連合会声明 https://lgbtetc.jp/news/2878/