女性記者と新聞 Aさんへの返信


Aさま

 先日はこちらこそありがとうございました。まとまらない話をしてしまい、申し訳ない気持ちでしたが、自分の経験を見つめ直すことができました。言語化、相対化できず、いまだ悩んでいるような状況ですが、私でよかったらお答えさせていただきます。

Q、新聞が低迷していることと、女性記者が働きづらさを感じていることは、関係していると思いますか

A、私は、関係していると思います(新聞の低迷の原因は複合的だと思いますが、女性記者の働きづらさと新聞の低迷は、深いところで結びついていると私は思っています)

 女性記者を「活用」できない、ということは、新聞が変化のチャンスを逃している、ということだと思っています。例えば、介護や子育てなどでバリバリ働けなくなった記者がいたとき、個人の責任にして終わってしまう。現場を「バリバリ働ける記者」と「スローダウンして働く記者」に分断したまま、対立をあおるような構図、不満が生まれる構図を残したまま、それを解消しようとせずに終わっているのが現状です。足元にある問題と向き合わない、なかったことにする新聞が、よい報道を続けて購読者を増やし続けるとは、私には思えません。(一時的に成功しても、きっと誰かに無理がかかり、どこかにひずみが生じると思います)

 同質的な編集職場に、たとえば女性記者が増えていくと、さまざまな変化が生まれると思います。思いつく例を挙げてみると
・同質的だった視点や価値判断に「違った目線」が入る
・それまで許容されていたハラスメントが、実は問題だったことに気づくきっかけになる
・出産や育児、家族の看護、介護(まだまだ女性が背負うことが多いという現実を前提にしていますが)によって「働き方をスローダウンする記者」がいることで、これまでの新聞記者の働き方を見直すきっかけになる。それは男性の記者の働き方にも、新聞の古い体質にも良い変化をもたらすチャンスになる
などです。

 しかし、この変化を新聞社側が「面倒なこと」「お荷物」「個人の問題」として片付けてしまうことで、記者は意見を言いづらくなり、自分なりの視点を発揮しにくくなります。そうなると女性記者は、旧来からの「男性的な価値観・働き方」に染まって働くしかなくなります。同時に、新聞は変化のチャンスを逃すのだと思います。

 たとえ女性記者が増えても、さまざまな視点をもった女性記者や、時には「ハンデ」を背負った記者を活用できない限り、何も変わらないように思います。変わらないということは「自分たちの型にはまった報道」「自分たちがこれまでやってきた働き方」を疑わない、ということだと思います。

 一方、社会はめまぐるしく変化しています。新聞が書かないこと、書けないことが、SNSでどんどん発信され、ときには人を動かします。新聞が、社会の変化から取り残されているように感じます。

 部数が落ち、組織に余裕がない中で、社内で発言力の弱い記者(例えば女性、若手)が新しい働き方や価値観を求めて声を上げることは、ますます難しくなると感じます。

 「経営が危ういのにそんなことを言っている場合ではない」「それならビジネスモデルを示してください、建設的な提言をしてください」といった意見も目にします。声を上げるのは、損なことで、至難の業なんだなあと思わせる。そうして、多様な声を聞く機会は失われていきます。

 私はこの問題を考えながら「人口減少の原因は女性の社会進出だ」「なぜ地方から女性が出ていくのか」という議論を思い出しました。「原因」のように言われている人々ではなく、まわりの人々や取り巻くものが変わらない限り、何も変わらないのではないかなと。

以上となります、長々、まとまらずすみません。

 私の心にはまだまだ新聞、組織、ハラスメントへの「恨」のようなものがあり、感情的になっている部分があるかもしれず、どうか割りびいて読んでくだされば幸いです。

Aさんに送ったメールの内容は、25年ほど地方紙で働き、自分が感じ、考えたことです。自分がなぜ「だめになった」のか、実はいまだに整理がつきません。記者だったとき、たくさんの人にインタビューをお願いし、「なぜ」「どうして」と問いかけて答えを引き出そうとしてきました。でも答えを探すということが、言葉にするということが、こんなに難しいことだとは知りませんでした。休職したのがちょうど2年前、復職したのが1年半前、退職して間もなく3カ月というところです。少しずつ自分のことも整理して、言葉にしていこうと思います。

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