韓国の女性DJ 「DJ SODA」 さんへの性暴力について、ずっと考えている。性暴力を正当化する声、加害者を擁護する声の「源」は何なのかを、考え続けている。
2023年8月13日、大阪で開催された音楽フェスに出演していたDJ SODAさんが、会場で複数人の観客から胸部を触られるなどの性暴力を受けた。被害をSNSで告発したDJ SODA さんに対し「露出度の高いかっこうをしている方が悪い」といった誹謗中傷が起こり、フェスの主催者である株式会社「TryHard Japan」は15日に声明を発表。「行為は性暴力、性犯罪であり断じて許すわけにはいきません」との見解を明らかにし、「損害賠償請求や刑事告訴などの法的措置を取る」と表明した。
性犯罪の刑法改正、その1カ月後
DJ SODAさんが被害に遭った8月13日は、「同意のない性行為は犯罪になり得る」と明確にした改正刑法が施行された日から、ちょうど1カ月というときだった。
今回の改正の大きなきっかけとなったのは、2019年3月、実の娘に性的暴行をした罪に問われた父親に「被害者が抗拒不能(抵抗が著しく困難な状態)だったとは認められない」として無罪判決が出たことだった。
同じ時期、日本では性暴力事件の無罪判決が相次いだ。怒りと悲しみは、各地のフラワーデモにつながった。
そうして被害者や支援者が声を上げ続け、ようやく実現した法改正だった。
性暴力に甘い日本。その亡霊は何度追い払っても、形を変えて追いかけてくる。そう思わざるを得ない、今回の事件だった。
被害者を苦しめる性暴力の正当化
いったい、性暴力を正当化し、被害者を責める考えはどこからわき出てくるのだろう。賛同する意見の源は、何なのだろう?
20代の友人に考えを聞いてみた。
「ひどい意見を言う人たちは『服の露出度が高い』イコール『触ってもいい』だと勘違いしている。全然イコールじゃないのに、全部一緒に考えてしまっている」
そんな服装をしていたあなたも悪い。
あんな場に行ったあなたにも非がある。
二人きりになったあなたにも落ち度があった―。
性暴力の被害者は、長年、加害者を擁護し性暴力を正当化する数々の言葉に苦しめられてきた。
同じような言葉が、いまもなおDJ SODAさんに投げつけられている。
女性の体を自由にすることが「笑い」だった
性暴力の正当化に賛同する人たちの心理を考えながら、私は自分が小学生だった頃のことを思い出した。
1980年代 、ゴールデンタイムにテレビをつけると、お笑い番組で半裸の女性が映っていることがよくあった。男性出演者がそれを見て喜んだり、のぞき見たり、胸に触ろうとしたりするシーンに「観客の笑い声」の音響がかぶさる。そんな番組がお茶の間に流れていた。
「無邪気な男性」が、女性の体を自由に扱う設定がみんなの娯楽になった時代。それが「大したことではなく、笑い飛ばせるもの」だった時代。
だが、さまざまな人の声が可視化されるようになり、社会は変わっていく。かつては許されていたことが、許されなくなる。
それを「窮屈になった」と感じる人たちは、昔と同じような基準で振る舞う人に「よくぞ言いたいことを言ってくれた」と共感する。人権を無視した「共犯関係」が、ここに出来上がる。
踏みにじられ続ける人権
DJ SODAさんへの性暴力をめぐるSNSを、再び読み返してみる。
「胸に触った人がうらやましい」
「そんなかっこうしているほうが悪い」
「テンションの上がっている客に不用意に近づき過ぎだ」
「ほかの国のフェスでも触られているではないか」
「(今回の性被害について)公開型のつつもたせなのだろう。誘惑されて仲良くしていたら、あとから怖い人が出てくるという」ー。
匿名のアカウントから、影響力のある芸人や映画監督まで、主に男性たちによる二次被害は、増え続けている。被害者の人としての尊厳は、繰り返し、踏みにじられている。
思い起こす痴漢被害
学生時代、私は都内の電車で痴漢に遭ったことがある。つり革につかまっていた時、背後に立った見知らぬ男に下半身を触られた。
初めは気のせいかと思った。
だが、尻に手の甲を当てられ、それが手のひらになったとき、痴漢だと気がついた。私が固まっていると、そばにいた女性が「ちょっと何やってんの!」と声を上げてくれて、男は逃げ去った。
そのときの自分の服装は、20年以上たった今も忘れない。上は長袖のベージュのジャケット、下はひざ丈の黒いスカートだった。
1996年のことだ。当時は性暴力に遭った被害者に対して「そんな格好をしていた方が悪い」と責める風潮が、色濃くあった。私も「スカートを履いていたのがよくなかったのだろうか」と考えこんだ。
しかし、日に日に怒りがわいた。
自分の体を勝手に触られたことが情けなく、恥ずかしかった。私を一人の人間としてではなく、「好きなようにできるもの」として見られたことが、悔しかった。
時計の針を戻させない
それから4年後の2000年、日本でストーカー規制法が施行された。
前年の1999年、一人の女性が元交際相手の男性らに命を奪われた「桶川ストーカー殺人事件」が、制定のきっかけとなった。
翌2001 年にはDV防止法が施行された。
それまで「夫婦げんか」として片付けられてきた家庭内での暴力を「犯罪である」と規定し、被害者を守るための法律だった。
時代の流れを見て思う。
かつて笑いの種にされたこと、無視されてきたこと、軽視されてきたことの「重さ」に人々が気付いたとき、人権意識がアップデートされ、法律や社会が変わるのだと。
変化のきっかけは常に、被害者の苦しみ、時には命だった。
ようやく取り戻した人権をなかったことにする加害者、そして無邪気な共犯者たちを、私は許したくない。
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