「諦めずにずっとやる」 

2019年、パレスチナにある学校で子どもたちと一緒に絵を描いたときの様子(清末愛砂さん提供)。右端が清末さん

 初めてイスラエルという国を知ったのは小学生のころです。教科書に載っていた「死海」のある国。そこにはゆったりと海に浮かんで読書する人が写っていました。私はイスラエル建国を「いいこと」のように記憶し、そこで暮らしてきたパレスチナの人々に何が起きていたのか、思いをはせることはありませんでした。ようやくパレスチナについて学び始めたのは2023年10月7日の「報道」があってからです。

 秋田市で9月下旬、パレスチナと長く関わってきた憲法研究者の清末愛砂さん(室蘭工業大学大学院工学研究科教授)による講演がありました。パレスチナの人々が歩んできた歴史やいま起きていることを学ぼうと、日本キリスト教婦人矯風会が主催しました。詳報します。

パレスチナで起きていることは、アパルトヘイト

 〈パレスチナの話に入る前に、清末さんは1枚の写真をスライドに映し出しました。読み書きを学ぶアフガニスタンの女性たちの姿です。以下、清末さんによる講演です〉

 これは今年の3月にアフガニスタンの首都カブールに行ったときの写真です。女性の識字教育の様子ですが、アフガニスタンの女性たちの中には、字が読めない人がたくさんいます。それは1990年代のタリバン政権下(※第1次タリバン政権、1996~2001年)で、本来なら学校で学んでいたはずの年齢の女性たちが、学校教育を受けられなかったからです。当時、女の子たちは小学校3年生ぐらいまでしか学校に行けませんでした。アフガニスタンはいま再びタリバン政権下(第2次タリバン政権、2021年~)にあり、女の子が学校に行けるのは、小学校6年生くらいまでです。

 タリバンの施策に限らず、アフガニスタンではもともと女の子の学校が地方の村にはないということが一般的だったので、多くの女性たちは字を書くことができません。男性も地方で育って教育の機会を逸していれば、書けない、読めないというケースがあります。

 そしてアフガニスタンは長い間、1970年代からずっと戦争が続いてきた国なので、たくさんのアフガン人が自分の国を離れて隣のパキスタンやイランで難民生活を送ってきたんですね。その過程で教育を受ける機会を逸して、字を書くことができない、そういう人たちがたくさんいます。それも10%、20%という割合ではないんです。女性たちの40%を超していると思います。識字教育はすごく重要なのです。

 今日はパレスチナの話をしますが、アフガニスタンとパレスチナに共通しているのはアパルトヘイトです。

 「え、アパルトヘイト?」と不思議に思うかもしれません。 アパルトヘイトとは一体なんなのか。まずそのポイントをお話したいと思います。

 アパルトヘイトというとおそらく皆さんは、南アフリカにおいて長年続いてきた人種差別政策というものを思い浮かべると思います。ですが今、南アフリカはある意味、人権先進国に生まれ変わりました。アパルトヘイトを克服したというある種の自信が、今の南アフリカをつくっていると私は思います。

 南アフリカをイメージさせるアパルトヘイトですが、実は南アフリカに特化したものだけではありません。まず、アパルトヘイトには国際法上の定義があります。「アパルトヘイト条約」の2条の定義を読んでみます。

 アパルトヘイト条約 2条
 一つの人種的集団が他の人種的集団に対する支配を確立し及び維持し並びに体系的に他の人種的集団を圧迫する目的で行う非人道的行為

 イスラエルの占領下に置かれているパレスチナは、明確にアパルトヘイト下に置かれていると理解していただいていいと思います。

南アフリカの姿勢

 南アフリカは民主化されてから、ずっとパレスチナの支持国です。国を挙げて圧倒的に支援をしています。それはなぜがというと、自分たちがアパルトヘイトに苦しんだからです。

 同じようにアパルトヘイト下にあるパレスチナ人に対して、強い共感を持っている。だから今、世界で最も、イスラエルが行っているガザ攻撃に対して国を挙げて徹底的に抗議をし、先頭に立っているのは南アフリカなんです。

 もちろん、南アフリカはパラダイスではありません。いろんな課題は国としてあるけれども、アパルトヘイトを許さないというものが明確にある国なので、イスラエルによる国際法違反の攻撃がやむよう先頭に立って力を尽くしています

 一方、アフガニスタンのアパルトヘイトというのは、タリバンが女性に対して行っている隔離政策と言えるような施策です。国連はそれを指して「ジェンダー・アパルトヘイト」と批判しています。

ガザを知るために憲法前文を読む

 ところで私は中東の地域研究者ではなく、憲法研究者です。イスラエルの占領下にあるパレスチナの話をするときは、憲法を含む法学研究者として、何が問題であるのかを法的な視点から見て話しています。

 私は日本国憲法の専門家の1人として、日本国憲法をとても誇りに思っています。部分的にいろいろ問題はありながら、日本国憲法は格調高い、非常によい憲法です。

 憲法前文には、二つの大きなポイントがあります。

 まず〈わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し〉と書いています。つまり、この国に住む人は国籍にかかわらず、みな自由であるということです。排他的にものを考えることを、否定しているんですね。
 さらに〈政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し〉と言っています。ここを根拠の1つにして、政府が戦争を起こさないようにするためにどうすればいいのかということ、例えば憲法9条、あるいは憲法前文にある〈平和のうちに生存する権利〉、平和的生存権が規定されているーと読み取ることができます。

24条に息づく戦争反対の意思

 そして〈政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする〉というのは、単に「日本という国が戦争をしません」ということだけを言っているのではありません。

 大日本帝国時代には、とりわけ「家」や家族、家制度というものが戦時体制を強化し、日本の全体主義——天皇主権の全体主義国家、軍事主義国家——を支えてきました。しかし戦後、憲法24条を制定することによって、この国は「家制度、さよなら!」と決別をしたわけです。家制度みたいなやり方をやってはいけない、と。

 家族というのは、軍事主義に非常によく利用される形態です。憲法24条は、二度と再びこの国が、家族を戦争のため、戦時体制を強化するために使うことを許さない、家族を利用させないんだ、という意味を持っているのです。

 平和運動の中では9条や生存権(25条)がすごく注目されるのですが、24条というのは本当に戦争反対の意思を持つ、そういう条文であるということを強調しておきたいです。

「全世界の国民」の平和的生存権

 憲法前文の平和的生存権のところには、素晴らしいことが書いてあります。

 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

 憲法前文というのは理想を語っているのではないんです。前文は憲法の一部ですから、当然にして法的な意味、法的な性質がある。より詳しく言うと、憲法前文の後に条文が続いていくので、各条文の解釈基準になる、そういう非常に重要な位置にあることを、とりわけ日本政府は頭に入れていただきたいと思います。

 〈われら〉というのは国民を指します。条文に「わたしたちは、平和的生存権があることを確認する」とありますが、平和的生存権は誰に対してあるものなのか。それは「日本にいるわたしたち」だけではなくて「全世界の国民」に対しても、あるのです。国民というのは、人民というふうに置き換えることが可能です。

 全世界の人民、つまりパレスチナの人でもアフガニスタンの人でもスーダンの人でもミャンマーの人でも、あらゆる人が国境を越えて平和的生存権を持つんだよということをきちんと憲法で言っている。〈ひとしく〉という言葉がさすように「例外なく」です。非常に格調高いことだと思います。

 法に基づく人権の獲得というのは、ひとしく、例外を置かずに適用されるもの、公平であるということを、小さい言葉に見えるけれども入れ込んでいるということになります。

差別を生み出す構造に目を

2019年、ガザの学校で子どもたちと一緒に絵を描いたときの様子(清末愛砂さん提供)。右端が清末さん

 この写真は2019年秋のものです。北海道パレスチナ医療奉仕団という小さなNGOがあるのですが、毎年秋に人を現地に派遣し、医療支援と子どもの教育支援をしています。そのときに学校で子どものための絵画教室とバレーボール教室をやったときの写真です。

 皆さん、考えられるでしょうか。今ガザは、6割くらいの家屋が破壊されてしまいました。学校の80%以上が壊されています。この写真は壊される前ですから、子どもには笑顔もある。それが今では学校が避難所になり、その避難所も攻撃をされるという信じられない事態が起きています。

 私は憲法研究者として「平和的生存権を大切にする」という意思が明確にあります。憲法を教えて研究している人間ですから、それを実践するのは当たり前のことなんです。

 憲法前文に「平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とありますが、この「確認」が何を意味するというと、国内であろうとなかろうと、人々の命に差はない、命の価値に差はないということです。そうであるからこそ、差があることの矛盾を問題視するために、不条理な状況に置かれている人々とともにいようとする。それが「差別を生み出す構造を問題視する意識から生じる連帯感」をもって、国際支援活動に従事するということです。

人権侵害を絶対に見逃さない

 平和的生存権は、誰に対して何を求めているのでしょうか?
 それは、国内でも海外でも、人権侵害を絶対に見逃さないということ。恐怖や欠乏を生み出す構造を見据えながら、これらにさらされている人々に心を寄せること。そして、恐怖や欠乏を生み出す構造に挑戦するための行動をできる限りする、ということであろうかと思います。

2022年8月、ガザの南部ラファにある難民キャンプでの絵画教室の様子(清末愛砂さん提供)

 皆さん、この写真、ほほえましくないですか。これは2022年の8月――すごく暑かったです、40度を超す暑さでした――ガザの南部、ラファという町にあるパレスチナの難民キャンプで、子どもたちのために絵画教室をやったときの様子です。国連のクリニックを使ってやりました。大人も参加してくれて、母子が一緒になって絵を描いている姿を写したものです。本当にね、こういう時があったんです。いま、想像するのも実は、本当につらいです。

 写っていた子どもたち、女性たちが今、生きているかどうかわからない。胸が痛いとかいう、そういう言葉ではもう語ることができないような、そういう状況にあります。

かつてはイスラエルの建国を「よかった」と思っていた

 私とパレスチナのつながりについて少しお話したいと思います。私はクリスチャンで、小さいときから教会が身近にある生活をしてきました。子どものときは「日曜学校」に行って紙芝居などを見ながら聖書を学び、大人になっても聖書を読んできました。そうしたなかで私は、イスラエルについて、キリスト者としての聖書の歴史観だけで考えてきました。

 イスラエルは1948年にユダヤ人国家として建国された国ですけれども、私は、イスラエルという国が建国されたことについて「ヨーロッパでいろいろな差別に遭って大変な思いをした人たちが、安住の地で国家を作ることができてよかったんだ」というふうに、単純に思っていたんです。

 イスラエルという国家の成立の背景にある建国思想――ユダヤ人国家をつくるシオニズムと呼ばれるものです――が、ヨーロッパにおけるナショナリズムの流れであるとか、あるいは非常に民族差別的なレイシズムを含む考え方であるとか、実はとても植民地主義的な発想であるとか、そういうことに気付かなかったし、そして何と言ってもパレスチナ人――先住民としてそこに生きていた人々――を追い出したり、虐殺したりすることによってイスラエルという国がつくられたのだという、その歴然たる歴史の事実を私は無視していた。つまり、無知だったのです。

 イスラエル建国の過程で、数百ものパレスチナの村が本当に「消えた」ということ、そのこと自体が頭から抜け落ちていたけれども、一方で「なぜパレスチナの人々は抵抗するのだろう?」「抵抗の背景には何があるのか」という疑問ももっていました。

「これはアパルトヘイトだ」

 2000年の年末、私はパレスチナ支援をしている友人に誘われて、イスラエルの占領の実態を自分の目で確認をするために現地へ向かいました。

 私には一つのポリシーがあります。自分が何かを分析するときには、文献だけに頼るのではなく必ず現地に行って自分の目で確認をするということです。現地でイスラエルの人権団体、パレスチナの人権団体や女性団体の話を聞き、そしてイスラエルの人権団体が雇用しているパレスチナ人のフィールドワーカーに連れて行ってもらって占領の実態を説明してもらいながら、観察しました。

ヘブロンの旧市街の真ん中にあるイスラエルの入植地(清末愛砂さん提供)

 私は、今でも覚えています。イスラエルの占領下にあるパレスチナに行き、その状況を見たとき頭に浮かんだ言葉は「アパルトヘイト」でした。

 私は法学を長年勉強していた人間なので、アパルトヘイトが国際法上、何を意味するのかは当然知っていました。現地に行ったときに、ああ、ここはアパルトヘイト下なのか、と。これは典型的なアパルトヘイトである、と。ということは、イスラエルは国際法違反をやっているんだと思いました。

 私はガザ南部のハンユニスという町で一人の若者と出会いました。20歳ぐらいの若者で、私は「どうしたの」と聞かれたので「イスラエルの占領の実態を自分の目で確認しに来たんです」とそのまま伝えました。そうしたら彼が「わかった。自分のいとこがつい最近、イスラエル軍によって撃たれて殺害されたので、家に連れて行ってあげる」と言って案内してくれたんです。

小石を投げて、殺されたガザの少年

 そこには、本当に悲しみに暮れている家族が座っていました。

 殺されたのは、ムハンマド君という15歳の少年でした。当時、ガザにはイスラエルが作ったコロニー、入植地がありました。2005年に全部の入植地をイスラエルはガザから撤退させたので、今はないんですが、私が初めて訪ねたときにはまだコロニーがありました。

イスラエル兵に撃ち殺されたムハンマド君の写真を手にする遺族(清末愛砂さん提供)

 私が訪ねたハンユニスの難民キャンプのすぐ隣、数百㍍しか離れていないところに、入植地の一部の入り口がありました。当時からガザのパレスチナ人は、仕事がないためイスラエルの入植地に行って、本当に安価な労働力として劣悪な条件で働かざるを得ませんでした。イスラエルに虐げられながら、たくさんのパレスチナ人が難民キャンプに押し込められているガザにおいて、イスラエルの入植地の存在というのは、占領者そのものに見えるわけです。だからモハンマド君は――彼の友人も少し前に同じことをして殺されているのですが――自分もパレスチナのために何かしたいという思いを持ったんじゃないかと遺族は言っていましたが、入植地の近くで小石を投げようとしたんです。

 その瞬間に、数百㍍離れた入植地の入口にいるイスラエル兵によって、撃ち抜かれた。イスラエル兵は、当時からM16という機関銃にスコープを付けていたから、狙って撃っているのです。

「自衛」の名による日常的な殺人

 イスラエル兵というのは、たとえ15歳の子どもを射殺しても、免責される。罪に問われないのです。それはなぜか。「自衛」だからです。「防衛のため」「国を守るため」だと言って、大概のことは免責されてしまう。

 私にとってこの場所は、その不条理さというものを、痛感した場所です。

 私は入植地にも入りました。入口のところに兵士がいました。この人がモハンマド君を撃ったかどうかは分かりませんが、私は言いました。「私はあちらのハンユニスの難民キャンプから来たけど、15歳の子どもが殺された、その家に行っていた。このゲートから撃たれたはずだ」と。ちょっとうろたえていました。「自分じゃない」と。

入植地のイスラエルの兵士(清末愛砂さん提供)

渇きに苦しむ人々と、青く美しい庭

 この写真を見ていただきたいのですが、今でも、忘れられない光景です。きれいでしょう? 

パレスチナのイスラエル入植地(清末愛砂さん提供)

 入植地に行く前に、ガザの難民キャンプに住むパレスチナ人にこう言われたんです。「カリフォルニアが広がるよ」って。ここを見た時に「ああ、カリフォルニアだわ」と思いました。すごくきれいなおうちがたくさん並んで、そして何よりもびっくりしたのは、入植者が住んでいる家の庭では、芝生のために水がぶわーっとまかれていたんです。

 私はガザで、友人の家に泊まっていました。そこで一番気をつかっていたのは、水を使う、シャワーを浴びるということでした。なぜかというと、ガザは水源が少ないので、ずっと長いこと水不足に苦しんできたからです。シャワーを浴びると塩でベタベタします。それでも水は貴重だから、毎日浴びることはしない。浴びる日も「ごめんね」という感じで非常に気を遣って使わせてもらいます。

 そういう状況から、いきなり「カリフォルニア」(入植地)に入ると、芝生に水が制限なく流れている。イスラエルの入植地では、地中深くまで掘ることができるので塩辛くない水を使えるのです。

 これが何を意味するのかというと、占領者と被占領者とで、こんなに違うということです。私はこの歴然たる差を見せつけられ、それに呆然としながらガザを出たことを覚えています。

長年の苦しみを「見ない」という不均衡

 昨年の10月7日に、ハマースを中心としたグループがイスラエルに対していわゆる越境攻撃というものをしています。これは日本でも大きく報道されましたし、世界的にも非常に大きな注目を浴びた。それからすぐに、イスラエルはガザに対してかつてない大規模な軍事攻撃をし、今に至っている。300日を越すという状況になっています。

 私はいろいろなところでパレスチナの話をするたびに、こう言われます。「ハマースが元々イスラエルを攻撃しなかったら、こんなひどい目に遭わなかったんでしょう? 自業自得じゃないの?」。しかしこれは、間違っています。はっきり言います。なぜなら長年――少なくとも2007年から――ガザはイスラエルによって封鎖をされていた。そして封鎖の前から、アパルトヘイト下に置かれてきた。

 つまり「始まり」と思われているところは(2023年10月7日の)ハマースによる攻撃ではなく、その前からずっと続いてきた、力によるイスラエルの支配なのです。イスラエルが力によってパレスチナ人を支配し、隙あらばパレスチナから追い出そうという、そういう策を数々やってきたのです。それに対するある意味、抵抗であったんだということを、やはり言わなくてはいけないと思うのです。

 イスラエルという国が、パレスチナ人の犠牲の上に成立したのだということを先ほど言いました。これは歴史的に否定できない事実です。

ハマースの行為自体は戦争犯罪

 私は若いとき、何度もヨルダンという国に行きました。そこで、ヨルダンに住んでいるパレスチナ難民の人たち―ヨルダン国籍がほとんどですが―その人たちに、どういう過程でパレスチナを追い出されて、そしてヨルダンで暮らすようになったのかという聞き取り調査をしてきました。いかにしてパレスチナ人が、故郷パレスチナを追放されたのということは、自分の調査上よく理解していました。

 ガザというところは、人口の7割が実は故郷を追われたパレスチナ人です。イスラエルの建国によって故郷を追われた人たち。人口の7割です。難民によって成り立っている地域なんです。

 そういう歴史があり、そしてすさまじい抑圧下に置かれてきた。ですから「抵抗」なんです。抵抗のやり方が良かったかどうかといえば、駄目でしょう。なぜなら民間人を相当数、殺害しているし、それから民間人をガザに連れて帰っている。これは戦争犯罪に相当します。

イスラエルが描く「物語」は歴史修正主義

 しかし1960年代以降の国際法の流れから考えると、民族自決――つまり植民地支配下にあった人たちの独立闘争――をする権利を国際法は認めていると考えることができます。パレスチナ人の最終的な目的は、パレスチナ独立国家をつくることです。その流れで言えば、明確に植民地支配、アパルトヘイト植民地支配に対する抵抗になりますから、これは法的に認められる「抵抗権」を行使したにすぎないという解釈ができます。

 先ほど言ったように、やり方を間違えると今回のように戦争犯罪になってしまう。ただ「元々(2023年10月7日に)ハマースがやったから問題なんだ」という理解は、実はイスラエルが語る物語なんです。それを信じてしまうと、私たちは重大な間違いを犯すわけです。別の言葉で言うと、歴史修正主義に陥るということです。「慰安婦はいなかった」というのと同じレベルのことを、やってしまうのです。

瞬きする権利すらない

 私はパレスチナに24年ぐらい関わっていて、いろいろなところで話すのですが、本当に「瞬きする権利」ですら、イスラエルの占領によって全部決められていくという勢いです。私は何度もパレスチナに行き、たくさんの友達がいます。けれども、パレスチナに住みたいと、思えないのです。

 自分がやりたいことが、自分の意思とは別のところで全て否定されていく。そんなところには、住めない。自由とか尊厳というものが圧倒的に侵害される、否定される地域ですから、若者たちが将来に対する希望を持つことができないんです。

ガザを封鎖するためにイスラエルが築いた壁とフェンス(清末愛砂さん提供)

 この写真を見ると、ガザが封鎖されている様子がよく分かります。

 この壁やフェンスは、実はオスロ合意と同じころに造り始められ、完成しました。ガザは本当にぐるぐると包囲されています。イスラエルとの境の壁には危なくて近づけません。すぐにイスラエルから撃ち殺されてしまいます。

 今、封鎖されたガザでは、将来の希望がないので自殺する若者が出ています。由々しき事態だと思います。

 占領政策によって、人々の生活が全て支配される。手の中でころころと転がされている。そのような構造的暴力という側面を、きちっと見ていかなければいけないと思います。

 東エルサレムヨルダン川西岸地区ガザは、地域の特性に合わせて異なる占領の仕方をされています。

 たとえば東エルサレムでは、イスラエルはかなり家屋破壊をしています。どういうことかというと、パレスチナ人の家屋が、イスラエルによって物理的にブルドーザーなどで壊されているのです。

 普通の法治国家ではあり得ないことです。イスラエルは、法治国家ですが。

 どういう理由で壊すのか。東エルサレムではイスラエルが行政権を持っているので、そこで家の建て増しをしたりリノベーションをしたり新築をしたりするときには、エルサレム市から許可を取らないといけません。なので、申請をする。どうなるか。パレスチナ人には、なかなか許可が下りません。10年も15年も待っていられないので、ちょっとずつリノベーションして、家庭生活を送るために建て直しをするわけです。すると来ます、確実に。「はい、ここ違法建築」とやって来て、いついつまでに取り壊しをしなさい、しないんだったら自分たちが壊します、とイスラエルは言うのです。

 本当に、巨大ブルドーザーが来て壊します。2019年の春に東エルサレムを訪ねて、篤志家が難民キャンプのそばに造ったプールとジムを見ました。そこは許可が取れていなかったのです。難民キャンプの近くにできてよかったねと思っていたら、数日後に壊されたと聞いて、びっくりして見に行きました。本当に、破壊されていました。

 その隣にあった50人ぐらいが住んでいたアパートも、跡形もなく壊されていました。そして私の目に見えたものが何かというと、壁を隔てた向こうにあるイスラエルの入植地に、立派な住宅がばーっと並んでいる、その姿でした。こうすることによって、ユダヤ人の人口の優位化を図っているのです。

緩慢な窒息作戦は、あからさまな窒息作戦に

 ヨルダン川西岸地区に関しては、検問所を通らないと行き来できない。しかもしょっちゅう閉まっています。 閉まったら、いつ開くか分からない。

 そしてガザは、壁とフェンスで封鎖されています。移動の自由が大幅に制限され、人だけでなく、物流も止められる。そうなると経済は発展しません。だから、いくらパレスチナ人が自分たちの地域を開発する能力があっても、できなくなる。ガザの人たちはその能力があります、大学が12校もあったのですから。けれどそれも全部壊されてしまった。信じられないけれど、300日の間に、全部壊されてしまったのです。

 ガザの人たちは大学院も出て高いスキルを持っている人もいっぱいいるんだけれど、物流や人の移動を止められたりしたら、経済が動かない。だからいくら大学を出ても、6、7割の若者が失業していたんです。

 このようにガザの人たちはライフラインを大幅に握られ、少しずつ少しずつ、首を絞めるような緩慢な窒息作戦というのをずっと現地で行われてきた。

 そして、緩慢な窒息作戦は終わりました。あからさまな窒息作戦、ジェノサイドになったのです。

難民キャンプにミサイルを落とすイスラエル

 ガザというのは本当に小さいところで、365平方キロメートル(※秋田県でいうと鹿角市の半分ほどの面積)しかありません。先ほど言ったように、人口の7割がイスラエル建国の過程で故郷を追放され、難民となった人たちとその子孫です。ですから難民の収容所、強制収容所が「住民のマジョリティ」であるという、ある意味異常なところなんです。

秋田市で行われた清末愛砂さんの講演(2024年9月23日撮影)

 ガザというところは、近現代の歴史の中では難民キャンプを中心に町作りが行われてきたので、人口密度が非常に高いのです。

 私は「人口密度が高い」ということを今、あえて言っています。この人口密度が高い難民キャンプに、ミサイルが落ちたらどうなりますか? 皆殺しになるでしょう? イスラエルが今行っているのは、そういうことです。

 狭い難民キャンプに住宅がつくられているので、4階建ての集合住宅のようなところもある。そこにミサイルが着弾したら、建物は全部落ちるでしょう? そしてそのがれきの下には、何があるでしょうか。遺体です。まだそのままになっている遺体が、たくさん、たくさんあります。たくさんです。

 パレスチナ人は家族主義の人たちなので、それが生活形態にもあらわれます。1階部分は父母、2階から上は子どもたちの一家というふうに、結婚すると建て増していきます。そこにミサイルが落ちたら、どうなりますか。信じられないけれど、これが本当に起きている。
 
 ガザは昨年10月7日の前から、そういう状況にあったのです。

憲法学者として抵抗したい

 なぜ私がガザに入るのかというと、憲法研究者としての矜持です。

 国際法上、こんなに長い期間、17年にも及ぶような封鎖をする、つまり強制収容所をつくるということは国際法上認められないんです。絶対にやってはいけない。ガザに住んでいる人たち全員に対して、移動や物流を制限するということは言葉としては「集団懲罰、連座刑」になるので、国際法上、認められないのです。つまりガザのような封鎖された収容所というのは、今の国際法上の理解でいうと存在し得ないものです。してはいけないものです。だけど現実には、存在している。

 この、存在しえないはずの「野外監獄」に対して私は、文字通り抵抗しようと思いました。平和的生存権を信じて研究をし、そして学生に教えている、私はそういう人間であるわけだから、そういう憲法研究者の矜持として、この封鎖を絶対に許してはいけないと思いました。

「私たちは絶対にガザを忘れていない」と示し続ける

 では何ができるのか。もちろん自分の足元で活動することは一番すべきことですけれども、加えて、現地に何としても入ろうと思いました。入ろうと思っても簡単に入れるところでは実はありません。ガザは他のパレスチナと違って、入域することがきわめて難しいところです。エルサレムに事務所を持っているNGO関係者のように現地に常駐しているわけではない私のような者は、事前にイスラエル軍から許可を得ないと入れないのです。パレスチナからの許可ではありません。

 北海道医療奉仕団は国連パレスチナ難民救済事業機関と連携することによって、現地に入ることをたまたま許可されました。私たちが入っていくということは、本当に細い、小さな細い針で、チョンチョンとつつくぐらいの、小さな効力があるかどうかのレベルです。でもそれを私は続けることで、1ミリでも2ミリでも3ミリでも、この小さな穴を開けていこうという気持ちでいました。

ガザの子どもたちが描く暮らし

 こちらの写真は、ガザ北部のジャバーリア難民キャンプ――世界一、人口密度が高いと言われている難民キャンプですが――ここで子どもたちと一緒に絵を描いたりしたときの様子です。子どもたちは、占領の実態を描くこともあります。

ガザ北部、ジャバーリア難民キャンプでの絵画教室の様子(清末愛砂さん提供)

 自分の友達が、ドローンで殺されているところ。友達が殺されてしまい、サッカーをする人数が減った様子。そのようなリアルな場面を描いた子どももいました。

 自分たちは難民だけれど、かつてはこんなに美しい村に住んでいたということを、見たことはないけれど夢を思い描くようにして描いてくれた子どもも見てきました。

もてなしてくれた人々

2019年、ガザ市のホテルで、清末さんたちに演奏を披露する地元の音楽家たち(清末愛砂さん提供)

 この写真は2019年の秋、ガザ市にあったホテルで撮影したものです。

 私たちがこのホテルにいたのは、ガザにある病院の事務局長さんに会って、私たちにどんな医療支援ができるか打ち合わせをするためでした。そこにこの楽団がいました。ホテルで結婚式があるので呼ばれていたんです。

 音楽家たちはびっくりしていました。封鎖されているので外国人なんてなかなか見ないので、私を含む外国人の姿に驚いたのです。外国人といえば、国連の職員とか国境なき医師団とか、本当に限られた人しかいません。外国から、しかも東アジアから来たとしか思えないような私たちがロビーのソファにいるわけですから、彼らはびっくりして「どこから来たの、どうしたの」と言うわけですね。

 私がかくかくしかじかと事情を話すと、喜んでくれて。そして目配せして、みんなでいきなり演奏を始めたんです。

 これは私たちのためにもてなしてくれている。パレスチナ人の矜持なんです。おもてなしの文化がすごいんです。自分は食べなくても、持っているパンが1個しかなかったら客に出す人たちですから。私にとって、ガザに通う中で、最も楽しかった思い出の一つです。

 このホテルは多分、もう破壊されてありません。このホテルのあった通りは全て、壊されたと聞いています。

 このホテルのすぐ近くには、ものすごく綺麗なモスクがありました。けれどそれももう、ないだろうというふうにガザの友人に言われています。ですから、ここに写っている人たちが今、生きているかどうかも分かりません。

繰り返される無差別攻撃

 イスラエルは確かに無差別攻撃をしています。イスラエルは「自衛権の行使だ」というふうに言うわけですけれども、法学的に考えると、自衛権というのは非常に議論の難しいものです。「国家は自分たちの国民を守る」という前提で自衛権が議論されるのはよくあることですけれども、果たしてパレスチナという文脈で、自衛権は成り立つのか。

 国際法の研究者の中でも立場は少し分かれますけれども、自衛権行使というのは通常「他の国が自分たちの国を攻撃したとき、一つの反撃として行われる」ものなんです。国対国の話です。

 パレスチナという国家はありますか? ないです。パレスチナは、イスラエルの占領下に置かれている地域です。つまり「国家」ではない人たちに対する自衛権の行使が可能かというと、少なくとも世界の裁判所である国際司法裁判所は「ありません」という立場をとっています。私も、その立場をとります。これは決して稀有な立場ではありません。

 さらに、占領下に置いている土地とか人々に対して自衛権を行使されると、どんなことが起きるのかを私たちは考える必要があります。占領下に置くということは、力があるということです。圧倒的に力を持っているからこそ、長期間にわたって占領できるのです。力による占領ができるのです。そこに自衛の名のもとに攻撃が行われれば、抑圧者として徹底的に押さえつけるという恐ろしいことが起きるわけです。

 その恐ろしいものを、世界は目にしている。ガザ攻撃という、あり得ないような国際法違反の積み重ねが行われているということです。無差別攻撃の一方、AIを使って攻撃すべき対象を絞って民家を爆撃することもあります。「ハマースの戦闘員がいる」と言って狙われるわけです。

 ハマースの戦闘員が自分の家にいると思いますか? ガザで民家に残っているのは、子どもと女性です。そこにミサイルが落ちてきたら死んでしまいます。だから今、死者も非常に多くの部分が、子どもと女性なんです。

学校の85%を破壊

 イスラエルによる無差別爆撃の中でもとりわけどこが狙われているのかというと、病院や学校、人口密接地、難民キャンプ、大学――破壊のレベルは大学によりますが全大学が壊されています。それから貯水池、給水タンク、裁判所、公文書館、市役所系、モスク、教会までです。ガザの北部にあるモスクは全滅したと聞いています。

 そしてジャーナリストが圧倒的に狙われて殺されています。つまり、ガザで何が起きているかということを、発信できないようにするため、そしてプレッシャーをかけるために殺しているんです。

 イスラエルは北部を攻撃してから中部、南部と攻撃し、また北部を攻撃している。安全なところはどこにもありません。これまでもライフラインを握って、パレスチナ人を生と死のギリギリにまで追い込んできた、そしてさらにそれを超える、すごい形での窒息作戦をする。これは、ガザを破壊して、もう2度とガザにパレスチナ人は住むことができないんだということを思い知らせて、そして最終的には追放の方向に持っていきたいという意図が、私はあるように思います。

 アルジャジーラによると、85%の学校がイスラエルにより破壊されています。85%です。学校は避難所にもなっています。その避難所を攻撃されるということは、もうどこにも安全な場所はないということになる。

ガザの学校でバレーボールをする子どもたち(清末愛砂さん提供)

 避難所になっているガザの学校で朝、お祈りをしているときにイスラエルがミサイルでそこを攻撃しました。一気に、100人を超す人が死んでしまった。パレスチナの人々は、人が爆撃で殺されると、肉片を集めます。それをナイロン袋に入れて、遺族に渡します。遺族はその肉片を埋葬する。

 ガザの救急隊員は人を助けるだけではなく、亡くなった人の体を集めることも仕事です。私は20年たっても忘れられないことがあります。西岸地区の難民キャンプに滞在していたときに、私がいた家の前でイスラエルがものすごい攻撃をしたことがありました。攻撃がやんで帰ったとき、救急隊のボランティアをしていた友人の爪に血がいっぱいついていました。遺体をかき集める作業をしていたのです。必死になってかき集めて、遺族に渡していく。

イスラエルを支持する国々、日本

 人道に対する罪や戦争犯罪でたくさん訴追されてもおかしくないような事態が続いているのに、イスラエルは止まらない。それどころかそれを支持する国がある。アメリカ、イギリス、ドイツ。そしてあろうことか日本。彼らはみな、自衛権の名のもとに国際法違反を擁護している。

 一方で日本政府は、人道支援が重要だと言うわけです。おかしいです。人道支援が重要なのだったら、さっさとイスラエルの攻撃を止めさせないと。人がどんどん死ぬだけなのです。

 確かに市民レベルでは国際的な批判は高まっているけれども、イスラエルはそれを普通に無視する。無視して攻撃をしている。

 国連の安全保障理事会も動きません。安全保障理事会の決議というのは拘束力があるので、停戦をさせようと思ったら安保理の決議を出して止めていくことが正当なやり方だと思いますが、それもなかなかなかった。2024年6月にようやく安保理が決議を出したと思ったら、イスラエルはそれも無視。国連加盟国であるイスラエルが、理事会の決議を無視している。それに対して安保理が、有効な手段をとれないのです。

「ガザにおけるホロコースト」

 イスラエルのしていることは明らかに、ジェノサイドだと思います。一般的に、たくさんの人が殺されることをジェノサイドだと思っている人が多いと思います。社会的な意味、政治的な意味では、間違っていません。ただ法的な意味は違っています。ジェノサイドは、非常に重いものです。その定義はジェノサイド条約2条、あるいは「国際刑事裁判所に関するローマ規程」6条にしるされています。

 集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもって行われた行為

 つまり、集団を破壊する意図が立証されなければ、どれほど人がたくさん殺されてもそれは人道に対する罪や戦争犯罪になる。明確に「集団を破壊する意図」が立証されたら、ジェノサイドになる。かつてはルワンダ、旧ユーゴスラビアの紛争の中で行われたジェノサイドが、国際的には認定されています。

 私はこのガザにおけるジェノサイドというのは、法的な意味でのジェノサイドだと思っている。法学者がジェノサイドだと言うことは、重い意味を持つものです。私も最初は、ジェノサイドだと言うことを躊躇していました。集団の破壊の意図が立証されなければ、言えないと分かっていたからです。

 でも今は、集団の破壊が立証できる。例えば、これまでのイスラエルの閣僚の言葉から、たくさんそれを読み取ることができます。だからこそ南アフリカは、ジェノサイド条約に基づいて、国際司法裁判所に提訴しているんです。イスラエルという、ジェノサイド条約に大きく結びついている国が、あろうことかジェノサイド条約で訴えられなければいけない事態が今、起きているということなのです。

 パレスチナ文学の研究者である早稲田大学の岡真理先生は、こう言いました。「ガザのホロコーストだ」と。私も、そう思います。

 イスラエルはかなり孤立してきているような気もするけれど、やはりアメリカに守られている。そして実は、アメリカすらももう止めることができないレベルになっている。

 そんななか、国際司法裁判所が今年7月19日に勧告的意見を出しました。そこにはこうあります。

 〈すべての国家は、被占領地におけるイスラエルの違法な駐留から生じる状況を合法化してはならず、被占領地におけるイスラエルの継続的な駐留がもたらす状況の維持のための援助や支援を提供してはならない〉

 これは非常に重要なものです。つまり、日本はイスラエルからドローンを買うとか、イスラエルと経済協力を締結するということを、やってはいけないということなんです。明確に、これは平和的生存権に反する行為になると思います。

自衛、防衛、国防という言葉の怖さ

 私はイスラエルの占領下にあるパレスチナ、あるいはアフガニスタンなどに関わってきたのですが、なぜ、憲法学者が戦場に行くのかと言われます。それは私が何を学んできたのかにも関わることなのですが、この20数年間見てきた中で私が言えることは、軍事力に依拠する安全保障論の主張が――日本はまさにそうですが――いかに現実を見ない、いかにお花畑的な主張であるかということです。

 10月7日のハマースによる越境攻撃を、日本という文脈で考えるとどうなるか。イスラエルは力でパレスチナ人を押さえてきましたが、その「力による支配」というものが結果として、安全を脅かし、自国の民すら守ることができなかった。つまり「力による支配」という安全保障の不安定性、脆弱性というものを見事にあぶり出したと私は思っています。つまり日本も同じようなことをやっていたら、不安定性しかないということです。

 24年ぐらいパレスチナに関わる中で思うのは「自衛」「防衛」「国防」という言葉ほど怖いものはないということです。戦争や武力行使は、自衛という名のもとに実際起きてきたし、これらの言葉が軍事作戦を容易に正当化してきました。だから日本国憲法ができているわけです。現在の憲法の制定議会となった戦後の帝国議会で、当時の吉田茂首相は「近年の戦争というのは自衛の名のもとに行われている。だから日本は自衛の名のもとの戦争も侵略戦争も、ともにできないようにするのだ」というふうに言っていますが、このことをいまきちんと考えなければならないでしょう。

「DV加害者」の振る舞い

 イスラエルによる攻撃は、DV加害者の論理に非常に似ていると私は思っています。あるいは、軍事力に依拠して安全保障を進めようとする国というのも、ものすごくDV加害者的なメンタリティがある。つまり「相手を支配する」「相手よりも軍事的に上に行って相手を支配下に置く」、そういう感覚です。相手が自分の意に背くことをしたら、徹底的に叩く。それは「自衛」ではなく、気に食わないからです。自分が気に入らないことをされたから、叩くのです。

 そういう意味では、本当は日本国憲法に基づく「非軍事」「非暴力」の外交というのが、自分たちを守ることにもなる。力による支配を支持しない、という考えの人たちをつくらなければ、非暴力的な社会をつくることができないので、小さいときからの平和教育が実はたいへん重要だと私は思っています。

 最後にアフガニスタンの写真を見てください。これはアフガニスタンとパキスタンの境にある州です。そこに、民間団体によって築かれた水路があります、乾燥してカラカラの大地に、緑のじゅうたんができている。すごいと思います。「民間の外交の力」です。

 私はそれを見て思いました。民間の外交力っていうのは本当に馬鹿にできないし、むしろ、外交とか安全保障が国の専管事項かといえば、そうではないのだと。民間はこれだけ、国ができないことをやってきたのです。この場所は治安的に非常に危険な場所ですが、私と夫などがここへ行くときに、アフガンの支援団体の人たちが言いました。「あなたたちは日本人だから、大丈夫だよ」。なぜ日本人だと大丈夫なのかというと「中村哲医師がついている」というのです。中村先生は、絶大な信頼がありました。中村先生のやってきたことというのは、国と国との外交では得られないほどの力を持っているということです。

「諦めずに、ずっとやっていく」

 以上が、清末さんによる講演でした。質疑応答では参加者からこんな質問が出ました。

 「このジェノサイドをなんともできない無念さというか、無力感を感じてしまうことがあります。どんなふうに考えたらいいでしょうか」

 清末さんは「私も無力感に襲われることが、多々あります」と語り、次のように答えました。

 「長年、アフガニスタンの女性たちと付き合ってきて、いろんなことを学んだのですが、いま再びタリバン政権下で圧倒的に女性の権利が制限されている中で、国を出ないで闘うという道を選んだ人たちがいるんです。外に出た人が悪いわけではもちろんないのですが、彼女たちにかつて聞きました。どういうときに喜びを感じるの?と。そしたら、こう言われたんですね。『小さいことにいろいろ喜びを感じる。私たちは非常に厳しい状況に生きているから、日本では大したことないと思うことかもしれないけど、私たちはそれが達成できたときに喜びを感じる。例えば、1人の弾圧者も出さずにデモができたとか、とりあえず道に出て声を上げることができたとか、そういう一つ一つのことからすごく力を得ていく。それを諦めずに私たちはやる。ずっとずっとやる。小さな喜びを見いだして、小さな達成を見いだしてつなげることで、自分たちの活動を持続させる力を得てきた』。そういうふうに言っていたんです。

清末愛砂さん

 なるほどって。すぐに結果が出ないこともたくさんあると思います。正直、日本の社会は非常に危険なものになってきたと私は思うのですが、それでも、諦めたら思うつぼなんです。国民主権の国に住む以上、権力者は本来、私たちです。憲法上の権力者は私たちであり、為政者ではない。その為政者を抑えるために、私たちが一人になってでも、声を出していかなければといけないのかなというふうに思っています。私はいろいろ揶揄されることもあります。闘う憲法研究者と笑われることもあるけれど、そういう笑われ方はもうどうでもよくて、声を出さないでいるということを、後から後悔したくない。少なくとも今の日本国憲法を、私たちは得た。これを使わなきゃまずいと思っている。なので私は、最後の一人になってでも声を出すだろうと、自分には言い聞かせているところがあるんです」

【参考資料】
・認定NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」サイト https://ccp-ngo.jp/palestine/
・外務省サイト https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_000784.html

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